太宰文学

メロスは走った






箱根関所南の交差点から

箱根路の坂道を






ただひたすら




箱根の山々の



ふもとにある


箱根湯本駅方面へ






箱根駅伝の6区に当たるこの坂道




多くの選手は加速させながら

いかにひざに負担をあたえず坂を下るか




訓練を重ねた


その能力に長けたエキスパートのみが



この6区の選手として選出される


メロスは
箱根駅伝の選手でもなければ



ラソンという競技において


特別何か経験があるわけでもない




ただひたすら




自分に課した



指名を全うするために










友である


セリヌンティウスが待つ












箱根湯本へ
















ただひたすらに




坂道を走った













函嶺洞門をくぐり








箱根湯本駅前の喧騒へ





そしてその喧騒の先の








暖簾の向こうにある


























「天ぷらそば」




を食べるべく










ただひたすらに

朝から一滴の水分も取らず








走りきった











そしていざ暖簾をくぐり


友である













セリヌンティウス











すでに


「とろろそば」を



食していた











メロスは思う








こいつは邪道だと








きつね  






たぬき






そばの種類は数あれど









その店の


そばへの男気を判断する指標




それは










「天ぷらそば」に




他ならない








セリヌンティウス



「とろろそば」は




もう底が見えていた











メニューの選択もさることながら



その食べ方も


本当に作法がなっていない









口をあけながら







くちゃくちゃと音を立て







口の中で攪拌される






とろろが








これ見よがしに





こちらに向けられる











メロスは思う
















閉じてくれその口を











そして










その周りに飛散した



とろろ








いつになったら












ふき取るんだ













かまわずメロスは





「天ぷらそば」を注文







来るべき至福の時を待ち








目をつぶり

瞑想の時間に入る










どの順番から食そうか









さきに汁を飲み








その後麺をすする










天ぷらはどの順番から





食そうか




えびか







いや















ししとう







いったい



何の天ぷらが






盛り込まれてくるか



わからないではないか













メロスは幸せだった





「おまちどうさまでした」








ふと耳元でささやく


老婆の声で










我に返る











脳内に流れるBGMは

ドボルザークの「新世界より







目を開き











その眼下に広がった光景に
















メロスは


息を呑んだ











そばの頂上に君臨する











海老天が















一本



















以上













しかも

なんて

カワイイ






その小さなフォルム















すかいらーく

お子様ランチの

エビフライの方が








よっぽど体格が

しっかりしている





























メロスは激怒した














いったいこれのどこが






「天ぷらそば」






なんだ








「えびが天ぷらですよ」



と言われてしまったらそれまでだが




だったら



「海老天そば」



という
ネーミングにすればいい














いや待て




もしかしたら





この小ぶりすぎる

海老天が



底知れぬ


ポテンシャルを

秘めてるのかもしれない











メロスは


ひと呼吸おき









番狂わせもいいところだが









その海老天を



一口かみ締めた























メロスは涙した











本当に










普通すぎて









気の利いた感想が














何も言えないことに
























「解せぬぞセリヌンティウスすかいらーくのエビフライの方がよっぽどうまいぞ!」











大声で怒鳴るメロスの声に驚き


セリヌンティウス











誤って







歯の間に入れていた







爪楊枝を歯茎に刺し


血を流した













メロスは我に返った





ここで頭ごなしに否定しては





聖人君子としての素養を疑われる












ここはひとつ提案をしよう





「どうもありがとうございました」







にこやかに会計作業に入る老婆







「おい老婆、これは天ぷらそばと申すがそなた正気の沙汰か?」








「は?…天ぷらそばですが何か…」








にこやかだった老婆の顔が






一瞬にして

急激な曇天のごとく


疑心暗鬼の顔になる








「いつもあの海老天一本のみで振舞うそばなのか」










「はい…創業以来そうですが」









「老婆、ひとつどうだろう。他の天ぷらたちも招集をかけてみてはどうだろうか」









「は?おっしゃっている意味が…」









「海老天だけではなんとも寂しい。たとえば舞茸とか」









「のせません。」










「芋はどうだろう。コストもかからないし腹も膨れる」












「のせません。」












「しし唐はどうだ。緑という色合えもよいし食感もいい。」


















「のせません絶対に。そんなに天ぷらが食べたいなら天丼を召し上がってください」

















だめだ








どんなに言い方をやわらかくしても

ただのクレーム客になってしまっている














周りからの冷ややかな視線に耐え切れず









店を後にする
















箱根の蕎麦屋というブランドゆえの誇りなのか








老舗ゆえの誇りなのか














もはや



「天ぷらそば」への


イノベーション


かなりの抵抗があるようだ











何より


駅前という立地から





呼ばずとも集客ができることに








胡坐をかいているのではなかろうか



















セリヌンティウスは暢気に









無数に広がる


かまぼこの試食に





精を出していた。



















メロスは涙した。




「神様せめてあと一本だけ…」




















小田急グループが誇る


駅そばの銘店




箱根そば」で





「とろろそば」


を食し




メロスは箱根路を後にした。